夜を待って、先を目指した。
いつ来てもこの場所は白銀で、寒い。
吐く息が霧散する。
軋む雪音を続け、鏡の様な氷の道を行く。
黒と、青と、白と、銀。
色までもがこの空間に同調している様だ。
程なくして目的地に辿り着く。
人成らざる人の、前。
この静寂で広い空間に、何を想って居るのだろうか…?
周囲の皆に目配せをする
瞬き、頷き、そして一歩。
“彼女”は招かれざる来訪者達と対峙した。
美しい金髪が月光に煌めき、寒々とした空間に一際輝く赤い眼が…見つめている。
彼女は、久し振りであろう他者に、微笑んでいた。
青白い姿の彼女は腰からしたが人のそれでは無かった。
極彩色の異型、蠢く無数の触手、彼女の背後から見つめる、もう一つの赤い眼。
生理的な悪寒に思わず息を呑み、注意深く武器に手を添える。
一片の雪が落ちる前に、攻防が始まった。
抜いた刀では無く、鞘を振り上げ触手に打ち据える、が…効果は薄い様だった。
継いで風切り音が彼女の頭部に放たれる、
巨躯に対して対象が小さく捕らえる難しいのか、ヒズミは何度も何度も笑みを湛えた顔を狙い、鞭をしならせる。
その間にメイコが鞄から取出した小瓶を開封する。
店で購入した法具は瞬く間に霧を生み出し、彼女から放たれる斬り裂く様な触手の攻撃を緩和させた。
抗戦の音とは違う旋律が耳朶を打つ。
舞う様に弾き、鋭く響き渡るその音はレンが奏でたモノで、体が軽くなる感覚を促し身体が滑らかに素早く動いた。
寒さで鈍る感覚に襲われていたが、コレなら問題は無くなるだろう。
思考が終わる前に激しい轟音と振動が一帯を揺らす。
サイの放った術式は無慈悲に彼女を爆撃していく。
相変わらず容赦や躊躇が無いモノだ…、だが今はそれが最善だろう。
今まで駆逐したモンスターとは違う、人。
鈍りそうになる一撃に力を込め直し、白刃を振り下ろす。
不意に、彼女の泣き声が響く。
彼女の魂なのか、モンスターの攻撃なのか…、衝撃が皆を包み込む。
人で在りながら、人で無い自分。
衝撃に耐えながらも、アーテリンデ達の言葉、苦悶、目の前に居る彼女に言い知れない奔流に似た感情が、渦巻く。
それでも尚、彼女は慈愛に満ちた微笑を浮かべる。
数本の触手が降り懸かった。
身体に衝撃、雪の上に押し飛ばされた事を認知すると同時に先程まで立っていた場所に目を向ける。
俺を押し飛ばした彼は触手に捕われて、些か苦悶の表情を見せた。
が、彼女は慈しむ様に冷たい抱擁に力を込める。
黒髪で覆われたせいで表情が見えない、声に成らない呻きの後に力を失った四肢は雪の上へと落とされる。
メイコが治癒を施そうと駆け出すも雪で足元が覚束ない。
ヒズミが危機を察知して叫ぶも、這い寄る触手がメイコを強く打ち据え、彼女もまた崩れ、動かなくなる。
その間に上手く猛攻を掻い潜ったレンがサイにネクタルを投与した。
サイは気が付くと素早く彼女から飛び退き、低い体制で氷を数メートル滑り距離を稼ぎながら、両手の錬成具に次手のエネルギーを補填する。
それを確認し、安堵したのも束の間で、視界の隅にまた何かが弾け飛んだ。
驚いて目を向けると力無く横たわるレンの姿が有った。
二人を助けなければ、と動きかけた俺に鋭い制止の声が響く。
戦いに集中しろ、サイはそれだけ言いながら目線を逸らす事無く彼女に核熱を落とし続ける。
ヒズミにも疲弊が見えた。
懸命に捕らえようとしては回避され、それでも諦めない、強い意志が解る。
逃げない、逃げてはいけない。
意を決した俺の刃が彼女…スキュレーを斬り伏せた。
動か無くなった触手、
再び痛い程の静寂と激しい自身の鼓動。
一時的とはいえ、休止した彼女の顔は笑っていたが、泣いている様にも思えた…。
ヒズミがへなへなと雪の上に座り込む。
肩で息をしながらもその顔は何処か悲しそうに見える。
限界が近い身体を引き擦る様にしてサイが彼女に近付き、持っていたナイフが氷姫の足を一房切り取る。
それを袋に仕舞い、サイはメイコとレンの元に近付いていく。
慌てて俺も後を追い、二人の無事を確認した。
比較的体力の残っているヒズミが二人の運搬を課って出てくれた。
メイコを背中に鞭でしょい込み、レンを両手で引き擦る。
レンに悪い気もしたが、サイは放って置けとだけ言い、先へ歩を進める。
俺はレンとメイコの荷を持つと二人の後を追い掛けた。
階段。
また未知なる樹海が待ち受けているのだろう。
サイは前を向いて昇り出し、ヒズミがそれに続く。
俺は一度だけ後ろを振り返った。
彼女の姿はいつの間にか消えており、雪と氷の空間だけが広がっていた。
樹海の力で、また彼女は復活するのだろう。
だが、それまでは
…せめて、良い夢を…。
吐いた言葉は吐息と共に吸い込まれ、俺も足を踏み出した。
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上層に着いて、言葉を失った。
一面の桜、それが優雅に咲き誇り、舞い散っている。
凍てつく世界が嘘のような幻想的な空間だった。
ヒズミも見上げながら感嘆の声を漏らしている。
美しくて、儚くて…、不思議と目頭が熱くなった。
揺らぐ景色は、そんな事はお構い無しに存在を見せ付けて来る。
自然は、時に強い力を放つモノなのだろう…。
流れに身を任せていたら、いつの間にか視界の揺らぎが止まっていた。
少し離れた位置でサイが俺達を呼ぶ、磁軸である。
互いに頷いて、樹海から離脱した。
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俺達は、何故先を目指すのだろう?
答えは解らなかったが、多分、必然なんだと思った。
温かな仲間達の声に包まれて、生きている実感を感じる。
夜が明けたら、また歩きだそう。
きっと、その先にこそ俺は行くべきなのだから…。