召喚コードに従い、場に降り立つ存在。
赤銅の髪と纏うローブが揺れる。
赤紫の瞳が、同様に召喚されたであろう存在を認識した。
「ほう? 今回はお前と当たったか……だからと言ってヤる事は変わらんが、な」
指先に握るチョークを相手に突き付ける。
「ククッ……お前の数式を、見せて貰おうか?」
召喚コードから転送されて降り立ったのは、ひどく殺風景な空間だった。
格別なギミックも無ければ、高低差を生み出す足場も無い。
赤紫の彼が目の前に居る。
それが全てだし、それ以外は要らないのだろう。
突き付けられたチョークの先端に青紫の瞳を細めた。
「残〜念。此処で会っちゃったからには俺も負ける訳にはいかないみたい〜?」
取り出したペンを一回転して握り直し、同じく彼に突き付けてやった。
「俺が塗り潰してあげるよ」
一瞬だけ真剣味を帯びた眼光は、直ぐに何時もの笑みに紛れる。
3、2、1のカウントダウン。
そして、幕を上げる戦場。
『数学基礎論』
『オーバードライブ』
同時に駆け出した体躯は急速にその距離を縮める。
先に仕掛けたのは機敏な身のこなしを見せる不識だった。
上段蹴りから刃を描いた腕が振るわれる。
斎は体を退く様にそれを交わす。
「避けてばっかじゃ、芸が無いよ〜?」
連撃を繰り出しながらガード、もしくは回避を続ける斎に軽口を叩く。
「生憎と俺はお前と違って肉弾接近は得意では無いからな」
涼しい顔して見下す瞳。
その頬を掠める様に風切り音を鳴らして鋭い手刀が繰り出された。
「……」
「お互いに小手調べなんてさ、止めない?」
ツマンナイでしょ?
そんな口元に宿る笑みとは裏腹に、その瞳は雄弁だった。
「ククッ……そうだな」
求められたのは楽しい遊戯。
何時かの遠い児戯にも似た、互いが果てるまでの高揚感。
何時の間にか両手に携えていたチョークが微かに発行数する。
『ボイルの法則』
「あっつ!?」
急速に暖められた熱気が、不識の腕を焼く。
その熱に驚き2、3歩後退した隙に次の数式が列を成す。
「Q.E.D.」
声に反応して顔を向けた時にはそこに斎の姿は無かった。
「コッチだ」
背後に降り立った気配と背中に走る蹴りの痛み。
振り替えれば、見覚えの無い黒髪の青年。
「何それ、コスプレ?」
悠長に笑えば、続け様に腹部に膝が入り、そのまま蹴飛ばされる。
着物、と言うよりは平安だが何だかの衣服……狩衣に近い、何ならその烏帽子と沓まで完全再現してしまっているではないか。
「コスプレでは無く、変容だ」
腕を組み、見下すそれは紛れも無い斎のもの。
「来ないなら、コッチからイくぞ?」
ニヤリ、と口角を上げると斎は軽い動きで鋭い手刀を浴びせて来る。
「ちょ、肉弾苦手じゃ無かったの〜?」
「今は、違うな」
暫く互いの攻撃をいなし合う。
ぶつかる手首と足。
「Q.E.D.」
不意に後方へ跳び距離を稼ぐ斎は刀印を結ぶと証明完了を宣言する。
呼応したのは不識の後ろ左肩辺りに貼り付けられていた呪符。
チョークと同じく淡い発光の後、それは小さな爆発を起こした。
小規模範囲に威力を留めた数式を予め呪符に記していたのだろう。
「痛った〜!
そういう事しちゃうんなら、お兄ちゃんちょっと怒るよ〜?」
あの爆発で腕が千切れ無かったのが不思議な位の怪我を負いながらも、不識は未だに冗談めかした余裕を見せる。
「さぁて、悪い子にはお仕置きの時間でっす」
斎は不識の足元を黙認した瞬間、バックステップで素早く後退を始めた。
「出ておいで、キメラマッドネス」
左足で軽く床を鳴らす、そこに描かれた絵が実体を帯びて現実化する。
獅子をベースにした合成獣型ガーディアン。
勿論、本物では無いがその獰猛さは変わらない。
「さ、やっちゃおうか」
不適な笑みに呼応した咆哮、跳躍する質量が華奢な体に牙を剥いた。
「チッ……面倒だな」
接近戦闘と素早さを基盤にした陰陽師では火力が足りない。
そう判断をした斎の姿は瞬く間に普段のそれに戻る。
変容解除がてら書いた移転方程式を使って場を飛ぶ。
先程まで立っていた場所には地面を抉る一撃が叩き込まれていた。
アレをまともに喰らえば、流石に建て直すのは難しいだろう。
ひらりひらり、と空間を飛び回りながらも獣を睨む。
時折記したシャルルの法則も、余り大した効果は得られてはいない。
不意に背後から絡み付く物体に動きを止められた。
「はい、捕まえた」
よく見ればそれは、魔力を込められた線画だが、傍目にはどうにも触手を彷彿とさせる代物にしか見えない。
と、他愛ない思考に囚われる数瞬に強い衝撃から地面に叩き伏せられる。
背中を踏みつける前足の爪が肉に食い込む。
「っ!!」
「痛い? 痛いよなぁ、うん。
痛覚遮断する暇も無かったし?」
頭を動かせば、眼前に立つ両足。
視線を動かせば、楽しげに見下す青紫の瞳。
「……かはっ!!」
増す圧力に骨が軋む。
今にも噛み付かんとする獣の息遣いが耳元を掠める。
だが、まだ負けてはいない。
「Q.E.D.」
指先のみで走り書きした数式を証明完了する。
起動したスキルを詠唱した。
『エクスプロージョン』
爆風が巻き起こり、背中の重圧がインクとなって飛び散る。
「わお、荒業だねぇ……大丈夫?」
痛む体を起こして、チョークが記す数式が再び発光を帯びた。
「ククッ……問題無い。
お前と違って治せるものでな?」
即応手当により回復する体力。
反対に不識の傷は癒えてはいない。
「長期戦はやっぱり不利だねぇ
じゃ、手早く終わらせるか」
跳躍、そして再び倒れ込む床。
指先が締め上げる首筋。
「ごめんね。勝ち負けにはさ、やっぱり犠牲って付き物なんだよ」
震える指先、そして……
響き渡る衝撃波。
「はっ!?」
揺れる脳内とふらつく体。
拘束から解かれた気管支が咳き込むのを待ってから、立ち上がる。
接近状態で撃ち込まれたのは、ドップラー方程式。
それが三半規管も揺らし、目眩状態を引き起こしている。
座り込む不識の襟元をぞんざいに掴み、斎は歩き出す。
当然不識はそのまま引き擦られる様子で油断状態を脱し切れてはいない。
「楽しかったか?
だが、茶番は終わりだ」
そうして振り落としたのは、場外。
「え? ええぇぇ〜!?」
慌てて復帰措置を取ろうとペンを構える不識に、斎の容赦無い追撃が牙を剥いた。
『エクスプロージョン』
「あぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
撃墜音を確認してから踵を返し歩き出す。
数歩進んだ先で手にしたチョークを横薙ぎに払い、そのまま腰に手を当てて首筋だけ振り替えった。
「ククッ……なかなか面白かったぞ?」
それだけ吐き捨てて離脱コードにより帰還する。
「……次は願わくば、更に深い証明論を……」