ネットを見ていたところ、ヨミウリシンブンのオンラインで『伊達政宗、長男「就職の世話」で依頼の書状』という記事を見つけました。
記事によると、土佐藩士子孫の方が保管されていた政宗公の書状で、大坂冬の陣に入る前の1614年、霜月十日付で、本多正純宛のものだそうです。
書状には「松陸奥守(松平陸奥守)」と書かれており、仙台市博物館が花押などを確認されたそうです。
書状の内容は、秀宗公が庶長子で豊臣家と関係があったので役職に就けずにいることを訴え、大御所家康と将軍秀忠に伝えて欲しい。くれぐれも頼む。ということらしいです。
秀宗公は大坂の陣の後に宇和島藩主となりますが、政宗公がこの様なお願いをされていたとは、ちょっと意外でした。
秀宗公は庶長子だから伊達家は継げないし、跡継ぎの忠宗公との間で争いが起き、それにより家中が割れたり、改易されるのを懸念しての事かも知れませんが、だったら秀宗公を出家させる手だってあったはずなのに、それをせずに何とか武士として然るべき位にあってほしいという、政宗公の親心を感じました。
その後宇和島藩主となった秀宗公のもとでは御家騒動が起き、政宗公は幕府に宇和島藩返納を言い出します。
その時、秀宗公は自分が伊達家を継げなかった事などの長年の不満を政宗公にぶつけ、政宗公は初めて我が子の思いに気付いたそうですが、秀宗公はこの書状のことご存知だったのかしら…?
いつの世も「親の心子知らず」なのかな(勿論、自分も含めて)、と思ったり・・・。
それにしても政宗公が何か行動を起こされたりすると、必ずといっていい程「したたか」と言われてしまうのは如何なものなんでしょうか?
昨日、高幡不動尊で引いたおみくじです。
基本占いは信じませんが、おみくじはその時の自分の運で引くものだし、当たるので信じてます。
(但しお正月の大吉おみくじは信じてません)
で引いたおみくじがこれです。
ちょうどちょっと悩んでいた事にもかかる事だったので、戒めとしたいです。
ただ「願望」「病気」などの項目が末吉なのに良かったのが、逆に気掛かりです。
あ、私はおみくじは良くても悪くても結んで帰る派です。
その方が良くなる気がするので。