人生のフレッシュな時期

今って、フレッシャーズの時期ですよね。
社会人一年生の人や、
大学や、高校、中学、小学校、など入りたての人がまだまだ慣れない時期ですね。

もう二度と、わたしは、こういった時に戻りたくはないけど、

若いという時期は二度とはなく、
身も心もフレッシュな時は、素晴らしいと思います。
なにかと、気苦労は多いけれど。

いえ、いくつになったって、その時、それなりに苦労はあるのです。


こういった若い人に対して、

あれやこれや、
人生の先輩がおして、

ああしたほうがいいよ、

こうしたらいいよ、などと、

わたしは言いたくはない。

相談でもされたなら、

わたしを頼ってなにか意見がほしいのかなと思うから、

なんらか言葉をとは思うけど、
なんにもないのに、

説教じみた、ああしなあかんで、などと、本当に一切言いたくはない。

言われたほうはうるさいだけです。

今の時代は、なにかいうとすぐにおせっかい、などと言います。

本当のおせっかいというのは、
相手が全く望んではないことを、
押し付けることじゃないかな。
親が色々言うのはしかたがないですが、

親の言葉も、内容によれば、

マイナスにもなるんです。


でも、もし、今自分が二十歳前なら、

今のこの時代、どう生きればいいんだろうと思います。

今はなにかと、ややこしく、むずかしい。

よくなってる部分もあるとは思いますが。



友達という、むずかしい関係

友達はいらない、とはっきり言う知り合いがいます。
女性です。

気持ちはわかるんです。

わたし自身、新幹線の座席を向かい合わせて、ワイワイやってる女性グループ見ても、何ら、いいなあ、楽しそうでいいなぁ、なんて一切思わないし、
静かに景色を見てたい自分としては。


その知り合いは、さぐりあいがいやなんだそうです。

まあ、いやですわね。
わたしもいやです。

わたしが嫌なのは、

自分勝手で強引な友達がいやなんです。

もう懲りました。

こっちがおとなしければ、いくらでも言うことを聞くと思うなと思います。

自慢話やマウントとるようなことを言われるのも、一切いやです。

気をつかって、気疲れするのも、もうこりごりです。

そんな友達いなくても、
痛くもかゆくもない。


自分が連れがいない時は寄ってきて、
あれこれ誘ってくる。
お連れがいないもんだから。

なんで、その人の連れになってやらないといけないのか、
お金使って、
バカバカしいです。


だからって、いやな顔はしません。

やんわりと、なるべく手短に断ります。


どこかのディナーバイキングに行こうとか、

ひとりじゃかっこつきませんよね。

連れがほしい。
わたし、こういうの好きじゃないので、

こういう料理は一見おいしそうで、
食欲をそそりますけど、

食べてみたら、油と塩がたっぷりで、
すぐにお腹がいっぱいになって、もう食べられません。
逆に高くつきます(わたしは)味が濃くて、のどもかわきます。からだに悪いです。
お店も、損になることはしないと思います。


人の話を聞くのは全然いいし、
聞き役になるのはいいけど、

自分ばかりしゃべって、相手の話を聞く気がないような人は、お断りです。

今朝の思い

ゆうべはよく寝られました。
寝ないと身体がしんどいし、誰でも眠るのはやすらぎでもあり、疲れたら眠りたいでしょう。

若いときは、途中で目覚めることもなく、
何時間でも眠れましたが、

だんだんと、あまり長時間眠れなくなってきます。

原因は人それぞれで、みな色々です。

眠るために眠剤をのむ人もいるので、

そうはなってはないので、できれば眠剤はのみたくはない。

そうならず、眠れるようにいたいです。

お天気も、朝から雨です。

春に三日の晴れ間なしと言いますが、

これだから春は好きな季節ではないのですが、
次には梅雨、初夏と、苦手な季節が控えてますから。

日本の気候が昔とは変わってきています。亜熱帯のようになってきてほしくはないのですけれどね。

帰りたくないと思う気持ちは辛いこと。

家に帰りたくない時期があった。

うちには帰りたいに決まってるし、他人の中にいたら疲れるから、うちに帰りたいし、心とからだをやすめたいのだけど、


家がそうできる所ではなかった。

新幹線で遠くから帰ってきて、新大阪から電車に乗りかえて快速で、うちの最寄り駅に着く。

帰りたいと思ったことが、あまりなかった。

それが今は、
はやく帰りたい。
さっさと帰りたい。
チェーンのカフェや、ファーストフード店に、ひとりで入ったりする時間がもったいない。

わたししかいない住まいに、さっさと帰りたい。

家はわたしに優しい。

きっと、この家もわたしを待っていると思う。

それで、気づくのだけど、

結婚してたり、誰かと事実婚みたいになってたりしたら、

相手に、帰りたくないなあ、なんて思わせてはいけない、と。

やっぱり家はいいな、安心できると思ってもらいたい。

そういう関係ならいいね。

今も腹立ついやなこと。

母親にいまだに腹立つことは、それはたくさんあって、

執念深い人だ、産んで育ててくれた人なのに、もうなくなった親なのに、と他人さまからは思われるでしょう。

誰にもわからないことです。

うちには昔から犬がいました。

それは父も動物好きで、犬や猫を大事にする人でしたから、

それはいいんです。

わたしが小三のときに父は他界、
その後も、小型犬がいました。

そして時は流れ、

わたしも30くらいの大人になった時、


その時、犬がいませんでした。

もう、わたしは、犬はやめようと思って、

なぜなら、母がしつけをしない、
あまり可愛がらず、放置するからでした。

犬が好きだと飼いたがるわりに、

犬を放置するのです。

食事は与えますが、愛情はあまり与えません。ほっとらかしです。

しつけもしません。

わたし、ひとりが頑張っても、
しんどかったので、

犬はやめようと思ったのです。
そうしたら母は、
犬を切らしたことないのに、犬がいる、と言い出して、

わたしは反対しましたが、

全く聞きませんでした。

そして、とうとうどこからか、子犬を連れてきました。

いまだもって、あの時の犬はどうやって連れてきたのか本当にわかりません。

無理やり、貰てくれ言われてん、しゃあないから貰てきたんやと言ってましたが、あやしいもんです。

その頃、わたしも忙しくて、子犬の世話はできませんでした。
なので返してくるよう言いましたが、言うことを聞いてなんかくれませんでした。

その子犬は、小型犬ではなく、大きくなる子でした。
困りました。
本当に。


その後、
母は、やはりしつけをしませんでした。

その子があっという間に、中型くらいに大きくなり、

母は、外につなぎっぱなしにしました。


なんで、あんなことをするのか、庭があるのだから、庭に置いてやれと言いましたが、


庭でおしっこしまくるから、と外の、市の道につなぎっぱなしにするのです。

小型犬じゃないから、つないどかないと、それならば、うちには庭があるのだから、

なぜ庭に置いてやらない、と言い合いを何度しても、おしっこするから、と言いはって、言うことをききませんでした。


おしっこするって、当たり前でしょう。わかってることでしょう。

わたしたちも、おしっこもウンコもするわけですから。


外につなぎっぱなしにするなんて、かわいそうなことです。


わたしはあの頃、家を離れてました

わたしにも事情がありましたから。

それで結果、どうなったか、

その子は、
いなくなってたそうです。

ある朝、
ごはんをやろうと、外に出たら、

つないであったのをはずされて、いなくなってたそうです。

誰かが連れていったのだと思われます。


勝手にはずれないように、逃げないように厳重にしてたと母は言いました。


わたしも家にはいない時のことでした。

かわいそうなことをしました。

誰かが連れていったのだとしたら、

そこで大事にしてもらえたなら、そのほうがよかったと思います。


あのとき、子犬だった、あの子をいったい、どこの誰から貰ってきたのか、
不明です。


知らない人に貰ったと言ってましたが、


大切にしてやれないなら、飼うべきではない。

父ならあのような扱いは絶対にしなかったはずです。


母の姉は、意地悪で、マウントとるようなことばかり言うし、とてもまともに付き合える人ではなかったけれど、


この人はずっと猫を飼ってたけど、

猫をたいへん大事にしてたそうです。


うちの母はというと、


「猫なんかなんの役にもたたん」
と言い捨ててました。

犬は番犬になると言いはってましたが、

犬も簡単に番をするわけではありません。

こわがりな性格の犬もいます。

母の姉は
本当に意地悪な人でしたが、

動物を大事にする人でしたから、

だから長生きしたのかもしれません。



命あるものを迎え入れたら、それは大変なこともありますが、
大切に、最後まで大事に愛して、育てることです

それができないなら、引き取るべきではないのです。


なので、今のわたしは、命あるものは、もう迎えないのです。
お金もかかります

お金がかかるのは人間の子だけじゃありません。

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