どうやらわたしはうたた寝していたらしい。
どうしようもない痛みと吐き気で目が覚めた。



今朝から出血大サービスの始まりである。





この時期、必ず落ち込む。
きっちりホルモンに振り回される、哀れなメス。
決まった周期をきっかり経て毎月必ずやってくるのだから、我が輩は動物のメスとしては優秀なのだろうな。

しかし
お前はメスなんだ、となにものかが言い聞かせる様に、臓器の内側からわたしの精神をえぐる。
これが大層つらい。





こういう時、
道半ばに置いてきた筈の厭世観が、ひょっこり手元に戻ってきてしまう。


結局のところわたしは、
どれほど足掻いても<ここ>に抱えたどす黒いものを捨てられやしないし、
それを抱えたままでだらだらと過ごす事に甘んじている。


他人は信用しないもの。心を傾けないもの。
娯楽はむなしいもの。何も残しはしないもの。
享楽など愚の骨頂。強欲は罪だ。
理性も愚か極まりない。たかがサルの分際で何が理性か。人間など所詮は進化し過ぎて脳が肥大化しただけのケモノに過ぎない。根源にあるのは動物、種としての本能。
未来ははかないもの。期待してはいけないもの。
現実など、取るに足らないもの。誰かの手によってリセットボタンを押されたら、そこでお仕舞い。
…過去は苦いもの。苦みと痛みは自分を高めてくれるからいい。でも、それすらもくだらない。自分という人間が高める価値のあるものにも思えないし、仮にわずかばかり自分を高めたところで、たかだかひとりのちっぽけな人間が一体何を為し得るというのか。
くだらない。くだらない。くだらない。


いつ死んだっていいやと思って生きるものが、真に他人を愛する事など出来るのか?

時間も金も思いも結局は無駄でしか無いのではないか?

思いなんて。愛なんて。
そんなあやふやなもの、どうだっていい。



人生は、長い暇潰し。

世界の希望よりも世界の絶望に目を向けては無意味に哀しんでみたり儚んでみたりして、そんな風にしか暇を潰せない。
滑稽だ。
甚だ以て滑稽だ。



そういうポーズをね、とっているだけに過ぎない。
どうせ、この時期が過ぎれば、またへらへらとくだらない事で笑い、くだらない事で悲しみ、くだらない事に怒りを覚え、くだらない事で幸せを噛み締めるのだから。

そうしてくだらない日々を過ごして、またこのどす黒い深みへと還って来る。


その繰り返し。






愚かだ。
この上なく愚か。


くだらないものに成り下がりたくないと願いつつ、その為の努力を否定し、くだらないものから脱する為の道をくだらないと嘯き、羨みながらも他者を羨む自分を認めるのが嫌でくだらないと蔑む日々に自ら浸りながらも更にそれを否定し、かと言って積極的にそこから這い上がろうともせず、ただただ泥濘の中に甘んじている。

なんて愚か。

存在する価値もない。




存在する価値もないのに、生まれ落ちた以上は存在し続けなければならない。

努力も、否定も、拒絶も、羨望も、侮蔑も、怒りも哀しみも喜びも、何もかもを抱き締めて生き続けなければならない。

解ってる。だから弱音が吐きたいだけ。




誰にも迷惑掛けないで生きるなんて、どだい無理な話。
人は、削り合いえぐり合い、そして癒し合ういきものだから。

えぐるのは誰にだって出来る。でも癒やすのは難しい。



どうしようもないくだらないいきものだけど、そうしてぶつかり合う事は、けっこういい暇潰しだと思う。