絆ルート終わり。
台詞を書き留めたいが故に、ビール片手に二回目のボス。
皆殺しルートだと、フリンとサタンが別パーティになるんだけど、今回は…。
サタンの代わりにワルターとヨナタン、しかもイザボーが別パーティへ!
ワルターとヨナタンの台詞に泣いたよ。
この姿で一緒に戦うのは久しぶりだよな
僕も君と共に戦うよ
イザボー、お前もこっち来いよ
君がいないと、僕らも何処か物足りない気持ちになる
ずっと願ってた
あのときのように、また共に戦う日を
だから、ぼくは人との繋がりを、絆を信じている
なんか、これだけで絆ルートをやる価値があったでし
そんなわけで、イザボーをフリン達に持っていかれたので、こちらのパートナーはナバール。せっかくだから、サムライ衆に決着を着けてもらうでしにゃ。
で、片っ端から奴を否定する。
自分の価値は自分で認める、と免罪を否定するアサヒ
言葉で人間を縛るだけのアンタが正しいとはオレには思えねぇよ、と公明を否定するハレルヤ
信じれば救われる、それは愛ではなく、落ちこぼれに対する同情だ、と博愛を否定するナバール
あなたが道を恣意的に歪めている限り、新たな道を模索する自由がない、と自由を否定するノゾミ
少し前まで私は貴様を信仰していた、貴様が騙る言葉はすべての人間を選民に駆り立てる道具でしかない、選民の思想は人を堕落させる、貴様の存在が人間を貶めている、貴様こそがこの世界で一番ケガレている、と清廉を否定するガストン
貴様の言葉は臆病者の妥協に聞こえる、弱さは隠すものではなく変えていくもの、貴様の慈悲は人間を木偶にするだけ、人間は貴様の人形ではない、と慈悲を否定するトキ
ガストンの台詞が一番重い。信仰とはなにか、を考えさせられる。
で、奴の断末魔。
人は弱い、我が法と秩秩序なしには生きられぬ、頼るものすがるものが必要だ、いずれ人が迷い救いを求めたとき、後悔するが良い
確かに、神の救いなしに、よるべなき場所なく、人は生きられるか?
少し、考えさせられる。いかに、神に依存しているか、を。
そして、消えてしまうワルターとヨナタン。
サタンがあいつの分霊だから、奴を討ったが故に大いなる理の元に還る、と。
生まれ変わったらまた会おうぜ、とワルター。
別々の道を選んだが、後悔はしていない、自分が選んだ道だから、とヨナタン、ワルター。
次に会うときも良き友、良きライバルであろう、とヨナタン。
で、ナバールを忘れないワルター。
黙って見送るフリン。
それぞれ選んだ道は違うが、誰よりもお互いを理解していた気がする。
譲れない道を、ただ選び、戦った。
だからせめて、最期に共に戦えて良かった
たぶん、だめ猫は前作主人公フリンに感情移入しすぎなのでし。
だからこそ、彼らにまた会えて良かった。
神と悪魔は人間の《観測》の内にある。
そして、人間には、未来を観測する力、未来を、現在を変えていく力がある。
自分達次第でなんとでもなる。
これは、終わりではなく始まり。
明日も明後日も、がんばって生きていく。
なんだか、なんでもやれてしまうような気がする。
人間とは、こんなにも可能性に満ちているのか、と。
で、気になること。
すべての宇宙を内包せし超越の神、《大いなる理》→本当の意味での創造主?可能性の世界の根源かにゃ?
で、いったいスティーブンはなにもの??