第105話 年齢と時間

2月29日は4年に1度のおばあちゃんの月命日

時間が過ぎるのは早い

生きていれば今年で100歳でした


最近、母さんは

「あと何年生きれるんだろうね」と話す

それに対し俺は

「100歳まで生きるべ」と答える

俺が子供の頃、死ぬなら美しいまま死ぬつもりでまさか自分が40歳まで生きるとは考えていなかった

47歳と言えば一般的に考えたら、結婚し子供を授かり家庭をもっている

そんなイメージだけど自分にはそれが出来なかった

28歳に人生を捨て去る出来事が重なった。

19年を無駄に過ごしたのかもしれない。

無駄な時間だよなぁ…

どうやっても過ぎ去った時間は取り戻せないから、1日を大事に生きるか

この世から消え去るか

消えたら”無”になるだけだけど、後悔もするんだろう。無になれば後悔は出来ないか…


ブログも纏まらなく消そうか投稿しようか迷っている最中です


今朝、小笠原の夢を見た。19歳年下の昔のセフレってやつ

彼女は19年居なくてもセフレ位は居ました。飽きっぽい性格だから長くは続かないですけど

夢で小笠原は俺の隣に座っていた

それだけしか覚えてない。あと餅を食べたら奥歯が抜けた夢を見ました

最近は雪は無いけどやけに冷えるなぁと思います。明後日は今期最強寒波が来るらしい。

なんだか頭がボーッとして纏まらない。

第104話 誕生日と記憶

幼い頃、俺は母親に捨てられた
理由は大人になってから知った

以来、1度も会いに来た事はなく
多分俺の事は“無かった事”になっているんだろう

もしその方が再婚し子供を産んでいたら、血の繋がった誰かがこの世に居るんだろうか

会いたくはないけど



俺は叔母に育てられた


遠い記憶を辿った


手を繋いで散歩し途中、自動販売機でイチゴソーダを買って貰い二人で飲んだのをよく覚えている

俺が幼稚園前の記憶だ

小学校の頃、叔母にお見合いの話があり結婚する予定になった時

俺は泣きじゃくり叔母のお見合いを拒んだ 結果、結婚はしなかった。

そのくせ叔母に対し

「本当の母さんじゃないくせに」と暴言を放った。理由は小学校で母の日の作文を書く時、同級生に色々言われたからだった

誰にも言えなく叔母にあたってしまったけど、叔母は何も言わなかった

俺は叔母の人生を奪ったのかもしれない

あの時、お見合いを拒んで居なかったら結婚し子供を授かり今とは違った人生になっていたんだと思います

でも俺にとって、産んだとか産んでないとかは関係無く、本当の母さんです

育ててくれた事に感謝している

今日は母さんの誕生日です。

何もしてあげれないけど言葉で
誕生日おめでとうと伝えた

俺より長く生きて欲しい


長く生きて欲しい




天気予報当たりませんね。雪の予報ではなく降水確率0%なのに積もるし、朝からプンプンしていました。プンプン丸です


仕事も午前で終わり、午後はぐうたら女房になる予定


今日の楽しみは夜21時からはいる鬼滅の刃です 前回も観たやつだけど楽しみです


あたくしも14歳から修行し
「男優の呼吸」を取得しましたが、唯一の弱点は早漏です


少し強い女鬼を相手にするとすぐヤられてしまいます 1分もちません

一夜に5度立ち向かった事もありましたが、勝てませんでした


現在は男優の呼吸を封印していますが、いつかぶちかましてやりたいと思ってます


全集中…

男優の呼吸…

壱の形…

乳首転がし…



第103話 記憶

SNSってそんなに重要ですか?
テレビでトゥイッター、インスタグラム、ネット掲示板など
“ネットの声”を取り上げてますがそんなにネットの声って重要ですか?

俺は個人のわがままな発言にしか思えない 100人居たら全員が賛同する訳でもなく、必ず批判もある

その批判に左右される世の中は個性の欠片も感じられません

誰かが言ったから辞める、削除する、変更する

世間の目や声を気にする人が増えましたね。特に最近は

そんなに良い人に思われたいのでしょうか?人の声や考えに流されてばかりの現代人

自分がこうと決めたら貫く志はないのでしょうか

言動の自由?多様性?

どこがよ、笑っちまうよ

ただ、個性も信念もなくなり流されてるコピーロボットが増えただけ

俺は嫌われても何を言われても自分が信じた事は貫きたいと思います



記憶



2010年 1月21日父親は亡くなった 60歳でした


病院から危篤の連絡を受けたのは20日の朝方だった 1月の冷たい雨の日でした


脳内出血、回復し間もなく脳梗塞を起こし重い不整脈も出て、病院で風邪をひき重い肺炎にかかり、ICUに居たら看護師が気付いたら心停止していた。
結果、多臓器不全

14年たつけど納得はしてないかな


今日は月命日 手を併せ問い掛けた


返事は…ありませんでした


午前は知り合いの建具屋の手伝いへ。ノミやカンナを使う細かい仕事が好きです。面白い


父親は若い頃、映画俳優になりたかったようでした。任侠映画に憧れていたようです

第102話 記憶

ある方が手術をするみたいで、メールで応援したら思い切りシカトされました。

まぁ、シカトは慣れているので良いですけどね。無事に終わる事だけは祈りたいと思います

それが例え“他人”だとしても




先日、髪を切りました。前髪が伸びてきたのでウルフに戻しました

美容師の同級生とは相変わらず学生時代の話をし非常に楽しい1時間だった

遠い記憶を会話の中で探し合う楽しさは年が成せる業なのかもしれない

あの頃は良かった…


人間は過去を美化する傾向があるので、こればかりは仕方ない


記憶



手術と言えば、俺以外の家族

おじいちゃん、おばあちゃん、父さん、母さんみんな受けている


母さん以外は自分が子供の頃や若い頃の話で、立ち合いなどはしていなく記憶が曖昧だ


母さんは2020年に大腸がん手術をし3時間もかからず無事に終わったけど、非常に心配だった

心臓にも病を抱えていて、全身麻酔での急変の可能性もあったからです

2回目の手術は2022年、先天性二尖弁大動脈弁狭窄症

外科医や麻酔科医からは、術中は心臓を止めて行う手術で心臓を再始動させる際、心肺技能が回復しない場合があると説明されていたので、母さんが手術室に入る前に交わした言葉


「頑張ってくるね」


「待ってるから」


最後の会話になる可能性も否定は出来なかった


約7時間後、ICUから連絡があり無事に終わったと聞かされた時の感情は今も忘れない。恐らく一生忘れないでしょう


全てが心と頭に記憶として残されている


俺は数年前から毎日ノートに日記を書いている。簡単な一行だけどその日の出来事や体調を記録している

俺がもし60歳まで生きていたら母さんは84歳。おばあちゃんは96歳まで生きたから是非長生きして欲しい。俺より長く生きて欲しい

永遠の鼓動などこの世には無く、人は必ず消え去る 消え去る間際どうあるべきかを考える時間が増えた気がする


死ぬ間際“いい夢見れたな”


そう思う人生にしたかった


うぜー

オメーになにわかるってよ
語るなや

どんだけ構って欲しいんだか

名前すら見たくねぇよ

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