「やあ、いらっしゃい」
俺を出迎えたのは柔和な壮年の男性だった。美術館の職員なんだろうか。男性は俺を招き入れると奥の応接間に案内した。途中でこれまた職員なのだろう。シックなスーツを遺憾無く着こなす老紳士に茶の用意を申し付ける。老紳士はきれいなお辞儀をして去っていった。
…なんか執事さんみたいだ。
「どうぞ、座って。いまお茶を用意させてるから」
男性は俺のコートを受けとると応接間のふっかふかのソファーを俺に勧めた。
…これで寝たら気持ちいいだろうな、と今は無き部屋の煎餅布団を思いだしなんとなくアンニュイな気分になるのを吹き飛ばす。そんな事より前を見ろ俺!
男性はコートを壁のハンガーに掛けると大きなデスクからファイルと万年筆を取り出している。マカボニーとかいうやつなんだろうか。
視線をずらすと流石は美術館と言うべきか机の持ち主(だと思われる)男性の趣味なのだと言うべきか。机の上に小さなアンティーク感溢れる彫刻像が置かれていた。女性、だろうか。白く繊細なそれは長い髪を胸まで流し肩に水瓶を担ぎ小首を傾げている。その姿は今にも動きだそうで俺は目を離した。その像以外にも壁には絵画が飾られ戸棚には彫刻が施されていた。
部屋の中にはそれ以外にも暖かな光を放つシャンデリアや品のいいスダンドライト、床には落ち着いた色のカーペットが敷かれ隅には薪がくべられた暖炉がある。
(…時代遅れ)
今は電気が主流だ。今では薪や石炭を使う家庭は無きに等しい。暖房器具も電気に頼る。
だがしかし、
「珍しいでしょ」
「えっ!?」
暖炉に見とれていた俺は男性の言葉に反応が出来なかった。
「この施設はアレクセイが生前住んでいたアトリエを利用しているんだ。何度も何度も改築して使っていてね。そうだな、築200年は経ってるかな。内装はほぼそのまま残してあるし電気だって先々代の、僕の父の頃に通ったばかりなんだ」
「はあ」
「この部屋はアレクセイが書斎として使っていた所でアトリエの次にアレクセイが時を過ごしたいた場所だ。そんな思い入れのある場所を跡目である僕たちが壊してはいけないと先々代は考えてね。結果、暖炉は残り今でもエアコンは導入されていないうわけだ。だから寒いけどゴメンね」
男性はそう言ってイタズラに微笑む。そういう風にされると悪い気どころかなんだがほんわかしてくるのは彼の人間性なのだろうか。
「いえ、とんでもないです。俺はただあの暖炉がこの部屋にすごい似合ってて暖かそうだなって」
心の中で思ったことは黙って置くことにした。
「あ、そうだ。まだ自己紹介してなかったね。僕はフォーマ=フォルナシス。この美術館の7代目館長です」
男性は――フォルナシス館長は名刺を取り出した。やっぱりこの人がそうだったのか。俺はその名刺を受け取り「俺はグラフィアス=ニグラスです。…あの、すいません、俺、名刺持ってなくて」申し訳なさに肩を落とした。
「あー気にしない気にしない。少なくとも僕は名刺交換なんて形だけのものよりもお茶でもしながらじっくり話しをして親交を深めるほうが好きだよ」
ねっ、と館長はウィンクをして見せる。その仕草がとても年上には見えなくて笑えてくる。
「とは言ったものの、どうしたのかお茶が来ない訳なんだけど」
館長は芝居掛かった動作でため息一つと肩をすくめると「まいっか」と呟いた。そして表情を一転させる。
「さて、そろそろ本題に入ろうか」
空気が張り詰める。強い眼光に射ぬかれ目が逸らせなくなる。喉が渇いて呼吸が苦しくなる。ほんの一瞬で何もかも飲まれてしまった。
「ニグラス君、キミは」
「アレクセイ=ローウェルの罪を知っているかい」
「…つ、み?」
「僕はねニグラス君、キミを是非ともこの美術館の職員にしたいと思っているんだ。だからこそ知っていて欲しい。アレクセイ=ローウェルの罪を」
稀代の彫刻家、アレクセイ=ローウェル。約250年に産まれ数々の作品を世に生み出してきた。その手腕は方々から称賛を受け今なお根強い人気を保っている。
その彼が犯した、罪。
「俺は、」
無意識の内に胸に手を当てる。服の下から伝わる確かな感触。大丈夫、大丈夫だ。
「俺は、もう何処にも、あてが、ない」
上手く発音できただろうか。石でも飲んだみたいに喉につっかえて仕方ない。水が欲しくてならない。
「なら尚更キミには知って貰わなくてはならない。勿論、聞いた後で止めるのもありだ」
館長は退路を残してくれている。罪という言葉に怯える俺の肩を優しく叩き顔を覗き込む。
その目が、とても澄んでいて、何故か泣きたくて仕方なかった。
「……知りたい、俺は知りたい」
まるで何もかも見透かされているようだ。いや、きっと見透かされているんだ。
――――俺の、
罪を