本当にすきな人には「会いたかった」も「さみしい」も言えない。
ましてや、「好き」とも本当の名前で呼ぶことすら、できないまま朝が来る。
助けて、も記号化していくだけならば、いっそのこと擦ったマッチでつもる灰とともに燃やしてしまいたい。
会えないあなたより会える他人を選んでは、会えないことへの執着が無意識に働いて名前を間違えてしまうよ。
だらだらとした日常が崩れ落ちてさよならを言う日は、ほんのり空が甘くなってやさしく包み込んでくれるだなんて、そんな妄想はいい加減に捨てるべきだ。
数ある分岐点で、間違いなく不正解の方を選び抜くスキルを活かせるお仕事に就きたいです。
あの日の「付き合っちゃう?」よりもずっと痛いのは、なにも言わない瞳と指先に残るキスだけだった。
まるで赤信号渡るだけだ。
渡ってはいけないとわかっているのに、その場の勢いで飛び出して、結果事故って痛いなーよくないなーとは思うのだけれど、渡っている瞬間のシンプルなスリルや解放感が忘れられなくて、また同じ場面になった時に、この前の痛さを忘れたふりして渡ってしまう。
繰り返すごとに痛さを忘れた気になって、じくじくと責め立てるように膿んでいく傷跡が愛しくなる。
愛しくて、その感情さえも自己嫌悪への一歩だから、ふさがりかけたかさぶたをめくってしまいたい衝動で。
よくないことなのもひっくるめて、本当に生産性のない愛の上でひとり自分を抱き締めては泣いている。
泣かないでいるための薬はとっくに抗体ができてしまったようだ。
手を差し伸べられても振り払ってしまいたくなる。
実際に振り払ってもいる。
声にならない叫びが胸の中で渦巻いてて、衝動に突き動かされるかの如く、また飛び出しては傷ついて。
全部自己責任なのは重々承知ですが、やっぱり愛せないのはもう生まれ持った罪深さなのではないか、と責任転嫁をしたくなる夜夜中は、もっともっと傷つかないと足りない気がして、両手を挙げながら底無し沼にずぶずぶと入水自殺していく。
魂の行方を知るために、くゆらした煙草はやっぱりどこにもいけないまま霧散して、今の私を見ているかのようだ。
会いたい、愛したい、傷つけたい、傷つきたくない、嫌いになってほしい、好きなってほしい、傷つけたくない、愛してほしい、救われたい、救われたくない、惨めだ、抱きしめたい、縛ってほしい、嫉妬してほしい、束縛しないで、好きになりたい、好きでいたい、ひとりにしないで、かなしくなりたくない、さみしい、手を繋ぎたい。
とりとめのない矛盾する感情たちが言葉にならないで消えていく。
あなたの一番でいたいけど、私の一番にはなれないかもしれません。私のことを好きでいてほしいけど、嫌いになるくらいなら最初から死ぬほど憎んで忘れない存在にしてください。手を掴みたいとは思いますが、離すことがこわいので掴めません。好きで好きでたまりませんが、この関係を終わりにするくらいなら言葉を飲み込んで毒素を貯めます。
痛いくらいに勝手に傷つけば、もうまもなく終点がくるでしょう。
終わりにするくらいなら、ずるずると、ずぶずふと永遠のかなしみの中で向こう十年くらい書き続けることのしあわせを享受すれば、少しは救われるかな、だなんて甘い考えを一番に捨てるべきだ。
女である自分と決別できないまま、明日が来ないことをずっと祈っている。
本当のことを言えば、赤信号で引き返す勇気でも、傷つくことへの慣れでもなく、引き止めようとする手をつかんでそのまま一緒に落ちるところまで一緒に落ちてくれる人を探している。
何となく寝たくなくて、結局明日もあるのに起きている。
本当は眠気もあるし、寝るに越したことはないけど、明日がくるのが無意識にこわい。
焦燥感と罪悪感、あと少しの何かに攻め立てられてて、つかめない左手を見つめるだけの夢を毎晩繰り返し見ているのだ。
「自分の元に返ってくるとわかっているものに関しては、わかっていれば怖くも痛くもないんだって」
考えが五周半くらい回れば、大抵のことは許せてしまう。
これは呪いなのかわからないけど、きっと私の愛して止まない人が「愛は許すことだ」と語っていたからに過ぎないのだと思う。
本当の私なんて、瞬間湯沸かし器に近いくらい腑が煮えくりかえることのが多いし、ちっとも理想としてきた大人になんかなれやしない。
年々、日々、驚くほど幼児退行を繰り返して、呆れるくらいさめざめと泣いては目が覚めている。
足りないシナプスを何本つなぎあわせたら、きちんと向き合って考えることができるのだろうか。
思いやり、だなんて陳腐な言葉で誤魔化したって、本当は許せていないことも伝わっているのでしょう。
大きなブーメランを投げつけて自分に突き刺す遊びは、いつだって私を正しく正確に突き抜けてくれる。
それを優しさと捉えているあたり、自分のことしか愛せないという誰かの声は想像している以上に深くまで心の奥に刻み込まれているのかもしれない。
"瞳を閉じればあなたが
瞼の裏にいることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとってわたしも
そうでありたい"
(レミオロメン/3月9日)
"こんな気持ちを知っただけでも
しあわせだと言えるのだろう
胸は爛れ締め付けられても
どうか恋を咎めないで
せめてきちんと眠りにつかせて"
(ポルノグラフィティ/うたかた)
様々なラブソングが世の中にはあって、その分だけ物語が存在して。
これが誰かのうたなのだとしたら、私は私自身を愛してやらなくてはならないのだ。
自分を愛せなければ、誰も好きになぞなってくれないのでしょう。
だから、せめて願わくば、平穏な一日の中で、少しでもあなたのことを忘れて、あなたは私のことを一生忘れなくなるしあわせな呪いの上で、勝手に傷ついて勝手に死んでくださいね。