3話です〜ここまで書いてあったのでぽこぽこうpしましたが、ここからは遅くなるかと思われます…。
三
魔女の塔の下、砂時計の底の部分には人一人入れる程度の穴が開いており、リンは魔女に続いてそこに入った。穴を潜った途端、ぐっと抑えつけられるような感覚があり、周りの潮が一気に引いたのがわかった。それと同時に、浅い水底に体が叩きつけられる。
「ぐ……っ」
フードを脱いでいた魔女は、リンのうめき声に気づいて穴の近くまで戻ってきた。
「む、入る時に気をつけるよう言いそびれたな」
痛みに顔を歪めていたリンは、ローブを脱いだ魔女を見て目を丸くした。
古ぼけたランプに照らされた彼女の肌は、白いというより青白く、血色が悪い。さらりとした桃色の髪は緩く束ねられており、背に沿うようにして長く伸びている。顔立ちは美しい方だったが、どこか陰鬱な気配を纏っていた。
黒いローブの下には黒いコットを着ており、胸元を強調するように深く抉れている。裾は若干引きぎみで、彼女のサイズに合っていないように思えた。ウエストは驚くほど細く、謎の銀色に輝く腰紐で無造作に縛られている。
魔女というより、死神のようだ、とリンは思った。
「尾鰭では自力でついてくるのは不可能か……」
魔女はリンの無遠慮な視線を歯牙にもかけない様子で、ぶつぶつと何か呟く。浅瀬の水がざざ、と波立ったかと思うと、宙で青く浮くひとつの塊となった。
「それに掴まっていろ」
「は、はい」
恐る恐る自分を持ちあげている青いものに触れる。ふにゃりとした感触のそれは、掴めているのかまるで実感がない。戸惑うリンにはお構いなしに、滑るように階段を上り始めた魔女についていく。下手に動いては転げ落とされる。リンは青い塊にただただしがみついていることしかできなかった。
魔女の塔の地下部分は、くり抜かれた空洞になっていた。その中を、いくつも光る鉱石が浮遊しており、明かりの代わりを果たしている。
壁一面には、所狭しと書物が詰め込まれ、巨大な書庫のようだ。中心には太い柱が一本立っており、そこから放射状にいくつも橋がかけられていた。
白い柱の中にはぽつんと台座があり、魔女が乗るとそれはぐんぐんと上昇していく。目まぐるしく変わっていく光景の中、リンは青い塊から振り落とされないかとひやひやしていた。
「着いたぞ」
幸い、落ちずに目的の場所まで来ることができたらしい。魔女が指を鳴らすと、青い塊はぱちんと弾け、跡形もなく霧散してしまう。
そこは地下と同じく空洞で、おそらく塔の一階に当たる部分だと気付くのに少しかかった。
天井は恐ろしく高く、地下と同じく光る鉱石が明かりとなっている。こちらの壁には本ではなく、瓶や植物、何かの爪や尻尾のようなものがしまい込まれていた。
一階は魔女の居住スペースになっているらしく、奥には暖炉があり、そこにかけられた大きな鍋には灰褐色の液体からピンクの泡がたっている。近くにはくたびれた皮張りのソファーが一つ、机が二つ、椅子が一つ。どれも使い込まれている様子だ。机には何かよくわからないものが散乱しており、雑然とした印象を受けた。
「確か……あれだったな」
魔女が指を振ると、棚からぴょんと小瓶が飛び出し、リンの手元に落ちてきた。割れないよう、慌てて受け止める。手のひらサイズの透明な小瓶の中には、澄んだ赤色の液体が入っていた。「これは?」
「恋を叶えるための手段を得る薬さ」
魔女は引っ張ってきた椅子に腰かけながらそう言った。
「用途は無限大、あんたの望みをなんでも叶えてくれる。ただし――」
一呼吸置き、彼女は声を低くして続ける。
「対価と、代償が必要になる」
「それは……お礼として、あなたに何か差し出せということですか」
一瞬、棚の中身が脳裏をちらついた。腕や目を差し出せと言われるのかもしれない。この瓶の中身には、それだけの価値があるだろう。
「あー……私には、お前のその長い髪でもくれればいい」
魔女は面倒くさそうにリンの金髪を指差す。
「髪……ですか」
「女の髪が、丁度必要だったからな」
髪は人魚の命だが、腕や目に比べれば安いものだ。安堵するリンを見て、魔女は更に続けた。
「問題は、その薬の代償だよ」
「薬の?」
「ああ。薬一つだけで、何の苦労もなく人間になれるわけがない。足を得れば不自由な思いをすることになるし、お前の代償は特別重い。恋に破れれば、命を落とすだろう」
「死ぬかも、しれない……」
足を得るだけで、死んでしまうかもしれない事態に陥るとは。楽観的だったのかもしれない。
(いや、死ぬ覚悟で魔女に頼みに来たんだ)
決して、生半可な衝動だけで来たわけではない。魔女がどんな人物かもわからなかったし、怒りを買って殺される覚悟までしてきたのだ。拾った命だと思えば、賭けることなど容易かった。
「それでもあたしは、あの子に会いたい」
瓶の栓を抜き、一息で飲み干す。液体は喉を滑り落ち、途端、激しい痛みをもたらした。全身が、燃えるように熱い。息を吸いこめば肺が焼けつくような痛みを訴える。激痛で視界が霞み、リンは床に倒れ伏した。
気を失ってしまえればどんなに楽だっただろう。何度も飛びそうになる意識は、傷みによって再び戻される。内側から裂けていくようだ。ぶちぶちと、肉が裂ける音がする。
もだえ苦しむ傷みの中、魔女の無感情な目と目が、合った気がした。
どれくらいそうしていただろうか。傷みと熱が、ゆっくりと引いていく感覚がし、徐々に視界が戻ってくる。頭はまだびりびりと痺れていたが、リンはよろめきながらも半身を起こすことに成功した。
(……足だ)
オレンジ色の鱗に覆われていたリンの尾鰭は、つるりとした二本の足へと変貌を遂げていた。