月明りすらない、酷く暗い夜空。
そこにまるで梟のように潜みながら、黒髪の青年は目を細めた。
血を吸ったように真っ赤な瞳が煌めく。
―― さぁ、幕開けだ。
そう言いたげに口角を上げる青年の視線の先にあるのは、一軒の家だった。
この場所からは、中の様子が良く見える。
そこに赴いているのは白銀の髪の青年。
異国からの訪問者、王倫。
妹を殺した人間を探してイリュジアにやってきた青年は、彼……荒錵の観察対象だった。
虎の瞳に宿るのは強い復讐心。
妹を殺めた人間を殺す。
そのために自国を離れ、人の好い雑貨屋の店主のフリをしてまで情報を集めるその一途さ。
見ていて飽きない。
そう思いながら、荒錵は青年の協力者となっていた。
自分の能力を明かし、餌をちらつかせれば、彼は飛びついてきた。
―― あの子のためならば俺は悪魔に魂を売り渡したって構わない。
迷うことなくそう言ってのける青年に、思わず笑みを零したのは言うまでもない。
少しずつ情報を与えていった。
いきなり答えを教えることだってできたけれど、それではあまりに面白くない。
美学に反する。
そう思いながら、荒錵は少しずつ"答え"に辿り着く情報を与えた。
もし途中で自分で真実に気が付くのなら、それはそれで面白い。
気付かずに突き進むなら、それはそれでも構わない。
そう思いながら様子を見守っていたけれど。
そろそろ、潮時だろう。
そう思ったのは、彼の妹がじっと自分を見つめてくることが増えたからだった。
屍から作られた人形に読心術などあるはずもない。
碌に部屋から出ることもできない彼女に自分の考えを悟られることなどないだろう。
そう思いはすれど、これ以上長引かせるのも逆に面白くはない。
ならば、最後のカードを切るまでだ。
荒錵はそう思いながら、何度目になるかわからない倫との密会の際に、彼に告げた。
君が知りたくて仕方のないことを僕は知っている。
勿論、君が血眼で探している男の居場所もな。
そこできっと、君の探し物は全部見つかる。
そう声をかけてやれば、彼は大きく目を見開いていた。
どうする? と選択肢は与えた。
自分で探すというのならそれはそれ。
そう考えはしたが、答えは荒錵にもとっくにわかっていた。
復讐に心を燃やした青年が、差し出された禁断の果実を取らないことはない、と。
***
かつん、かつんと響く靴音。
くすくすと笑う声。
それに後ずさりながら、男は顔を青褪めさせた。
何故此処に奴が居るんだ。
遠く離れた異国に身を隠したというのに。
男の瞳に灯るのは恐怖と動揺。
「やっと見つけた……探したんだよー?」
ふぅと息を吐きながら、言葉を紡ぐ。
「我の家に侵入したのは、君だよな。大変だったけれど辿り着けた。持つべきものは優秀な協力者だな」
そう言って、虎が目を細める。
まるで獣のそれのように、白い歯が覗いた。
「君なら確かに侵入もしやすいし、痕跡が多少残っていたって関係ないよな。
麗花の婚約者として、家を出入りしていたんだから」
ねぇ、そうだろう?
そう言いながらしなやかな銀髪を揺らし、虎は言う。
「ひ……」
息を呑む男の足を虎が放った魔術の札で切り裂かれた。
もう逃げられない。
痛みではなく恐怖で座り込む男に歩み寄りながら、虎が言う。
「麗花も逃げられなかった訳だし丁度良いだろう」
あの子も逃げたくても逃げられなかった訳だし。
呟くその声は酷く低い。
「逃げたくても逃げられず、殺された。やっと、あの子の仇が取れる」
そう言いながら虎は口元に笑みを浮かべた。
目は一ミリも笑っていない。
冷たい殺意と敵意を灯しながら、彼は武器である峨嵋刺を構えた。
「こ、殺してない、殺してない……!」
震える声で男は言う。
殺してなどいない、と。
やっとのことで紡いだ言葉に、虎……倫は目を細めた。
「我はずっと探していたんだ、ずっと、ずっと……麗花を殺した人間を見つけ出して殺す、そのためだけに生きてきた」
あの子が殺されたあの日から、ずっと。
そう言いながら倫は目を細める。
殺してなどいない。
そう言い続ける男の命を奪う。
冷静に、冷酷に、残酷に。
終わりは、随分とあっけないものだった。
その相手がこの男であるということに辿り着くに、相当な時間をかけてしまったけれど。
それでも、これで良かったのだ。
"処理"をして、一つ息を吐く。
「……此処だろう。視線がこちらを向いたものな」
麗花のイヤリングは何処にある?
そう問うた時、男の視線が一瞬泳いだ。
その先を倫は追っていた。
その先にあったのは、抽斗付きの机。
鍵すらかかっていないそれを開ければ、そこに入っていたのは見慣れたイヤリング。
「……麗花」
今は城でいつも通り窓辺に座っているはずの妹の姿を思い浮かべながら、倫は呟く。
そしてそのイヤリングを拾い上げたとき、あるものに気が付いた。
「これ、は……」
それは、小さな紙。
ただの紙切れであれば何ら目には留まらなかっただろう。
倫がそれを見て手を止めたのは……
「麗花の、字?」
そう。
その小さな紙に刻まれていたのは見間違うはずのない、妹の字。
そして、その字が刻んでいた文字は……兄である、自分の名。
どうして。
そう呟く。
呟きながらも、彼の冷静な思考は答えを出していた。
「……そ、んな」
小さく呟き、茫然と立ち尽くす青年。
その姿を見て、黒髪の悪魔は緩く口角を上げていたのだった。
―― 与えられたものは ――
(答えは簡単に与えない。
だってそれは、面白くないだろう?)
(辿り着いた答え。それは、あまりにも…)