カライスを堕天させたい、という話から生まれたお話です。
リリエルとカライスのやりとりのみですがナハトさんとのコラボCPカラなが前提のお話になっております。
では追加からどうぞ!
何れ彼はそうするだろう、と言う予測はしていた。
それが思ったより早かっただけだ。
そう思いながら、カライスは一つ息を吐く。
空間の中にあるのは仕事用の机とペン。
それ以外のものはない、一見殺風景なだけの空間。
そっと、手を伸ばす。
何もないはずのその空間はばちりと音を立てて、その指先が"外"に出ることを阻んだ。
彼を阻むのは、百合の香りに満ちた結界。
本来林檎の香りに満ちるこの部屋……カライスの部屋は今や大天使リリエルの領域とされている。
カライスの意思で出ることのできない、リリエルが作り上げた牢獄。
その中に閉じ込められたのは、数日前のことだ。
いつものように、天使としての役目を果たせと呼び出され、天界に戻った。
仕方ないとあきらめ、いつものように必要な仕事をこなしてさっさと地上に戻ろうと、カライスは思っていた。
しかし、今回ばかりはそれが出来なかった。
そのまま、この場所に閉じ込められたのだ。
何故、と抗議するカライスにリリエルは言った。
"貴方はもう地上に下りる必要はないでしょう"と。
ラジエルとしての権能を使えば、必要なことは記録できるのだから、と。
きっと、彼は危惧したのだろう。
自分が地上で人間と……愛しいと思う"怨霊"と過ごすことで、これ以上堕落することを。
彼なりに、焦っていたのかもしれない。
その結果が、この緩やかに見えて過激な幽閉だ。
逆効果だと考えはしなかったのだろうな、とカライスは苦笑する。
それが最善だと信じたら疑うことをしないのがあの大天使である。
天使らしいと言えば、らしい。
かつての自分も、そうだっただろうから。
しかし、生憎と……今の自分は、"普通の天使"ではない。
そう思いながら、カライスは握っていた羽ペンに魔力を込める。
普段使うことのない、強化の魔術。
それをかけたペンで、カライスは自分を閉じこめる結界に切りつけた。
パキン、とガラスが砕けるような音が響き、カライスはふっと息を吐く。
あぁもう引き返せない。
そう思いながら足を進め、自分の空間を出る。
急ぐ訳でもなく、歩みを進める。
……刹那。
首筋に冷たい金属が触れた。
息が詰まる程強い、百合の花の香り。
それを感じ取りながら、カライスはそっと息を吐く。
……さぁ此処からが正念場だ。
そう思いながらカライスは視線だけで、自身の首筋に金属……基刃を添えている天使の方を見た。
相変わらず、彼は無機質な表情だ。
カライスが逃げ出したことを咎めるでも怒るでもない、呆れてすらいない表情。
そのまま、彼は口を開いた。
「その行動が何を意味するかを理解できない程貴方は愚かではありませんね」
確かめるように問われる。
今ならば引き返せる、と言外に忠告されているとカライスは感じた。
しかし、その警告に従う気はさらさらない。
「あぁ、勿論だ」
あっさりとそう応えるカライスを見て、リリエルは少しだけ、顔を歪めたように見えた。
そこに灯るのは怒りではない。
困惑だ。
「何故そうも地上に拘るのですか」
「私が説明したところで貴方には理解できないだろう」
妥協点などきっと見つからない。
遅かれ早かれこうなっていただろう。
そう思いながら、カライスは言葉を続けた。
「あのまま、貴方の望む天使であることは私には出来ない。
貴方はもう私を地上に戻す気がないのだろう?」
あの空間に自分を閉じこめた彼は本気だった。
大天使としての命令。
それに背くことの意味を、カライスはよくよく理解している。
だから、問うた。
自分を解放する気はないのだろう、と。
その言葉にリリエルは迷わず頷いた。
「必要がありませんから。地上で記録すべき出来事でも起きない限りは貴方は此処に居れば良いのですよ」
その方が幸福でしょう。
疑うこともなく、彼は言う。
カライスは嘆息して、指先に魔力を込めた。
「それならば、私も我を通すほかないな」
そういうと同時、カライスは指先に込めた魔力をリリエルに向けて放った。
リリエルはあっさりとその魔力を自身の障壁で防ぎ、そっと溜息を吐く。
「……残念です」
然して残念そうにも聞こえない声音で彼は言い、剣を構える。
冷ややかな青の瞳でカライスを捉え、リリエルは言い放った。
「反逆の意を示した同胞(なかま)に情けをかけるつもりはありませんよ」
彼の声に灯るのは敵意。
もう、自分を"同胞"と捉えてはいないであろう声。
それを聞いたカライスは笑みを浮かべて、言った。
「どうだろうな。存外、私が貴方を倒すことになるかもしれない」
挑発的な声で言い、カライスは地面を蹴った。
そのまま、リリエルと距離を詰め、魔力を放つ。
至近距離での攻撃ならば多少は、と言う思いで。
しかし、リリエルはそんな彼の攻撃をあっさりといなす。
至極当然のことだ。
カライスとリリエルの魔力の属性は全く同じ。
魔力の強さは、リリエルの方が上だ。
それだけでなく。
「剣など握ったこともない貴方が私に勝てるはずがないでしょう」
冷たい声でそう言い放ったリリエルは剣を振るう。
その切っ先が捉えたのは、彼の右目だった。
彼がかけていた眼鏡が割れ、床に落ちる。
ぱっと散った鮮血が、清浄な空間を穢した。
「っ……」
痛みで顔を歪め、ふらつくカライス。
リリエルはそれを追い詰めながら、冷ややかに言い放った。
「貴方は天使であることを棄てるために、私に抗った。
その瞳(けんのう)ももう要らないということでしょう」
「……はは、確かにな」
目元を拭い、カライスは苦く笑う。
抑制機である眼鏡が壊れ、同時にリリエルの斬撃で片目の視力を失くした今視えるのは、酷く奇妙に歪んだ世界だ。
見え過ぎるはずのものが、ぼやけて見える。
それは自身の権能が鈍ったことを示していた。
「わかっているのですか、今の貴方の状況が」
笑っているカライスを怪訝に思ったのか顔を顰めながら、リリエルは言う。
「不完全になった貴方は、もはや天使ではない。天界(ここ)に居る資格を失ったのですよ」
あぁ、哀れな。
そう呟いた彼は、カライスを見て、言った。
「権能を失った貴方には何も残らないでしょうに」
剣を握ることが出来る訳でもない。
強い魔術を使うことが出来る訳でもない。
只物事を見て、聴いて、記録するだけの天使だったのだから。
リリエルはそう言い、カライスを見つめる。
カライスは彼の言葉に、変わらず笑った。
「それでも、構わない」
は、と浅く息を吐いた彼は真っ直ぐに大天使を見つめ、言った。
「貴方の思うままに使われ、愛しいと思う者と過ごすことが出来ないくらいならば、力も翼も、もう必要ない」
そう言い放つと、ぐらりと足元が揺れるのを感じた。
天界に拒絶されているのだ、と本能的に感じ取る。
「……そうですか」
リリエルはそういう。
何の感慨もこもらない声。
それを聴きながら、カライスはふっと笑みを浮かべた。
「……以前、堕天したサリエルの子が、言っていたな」
呟くように、彼は言った。
リリエルはそれを聞いて、僅かに眉を寄せる。
言葉の続きを待つ大天使に、カライスは言葉を続けた。
「天界程の偽りの楽園は、存在しないだろう、と」
隻眼の堕天使の姿を思い出しながら、カライスは言う。
そして緩く口角を上げると、言い放った。
「私も、そう思うよ」
カライスは冷ややかな声でそう言った。
リリエルは少しだけ眉を寄せ、緩く首を傾げた。
「それは、ラジエルとしての予言ですか?」
その問いかけにカライスはゆっくりと瞬く。
それから笑みを浮かべ、首を振った。
「否。"カライス・セクレ"としての、意見だ」
そう言い放った彼は、自身の足で天界の地面を蹴った。
ふわりと、厭な浮遊感に包まれる。
浮遊感はすぐに落下の感覚に変わっていく。
翼を羽ばたかせたところで、意味はないだろう。
今の自分にある翼は、天界まで羽ばたくためのそれではないのだから。
―― 嗚呼、それでも。
彼は、私を受け入れてくれるだろうか。
今更のようにそう思いながら、カライスはそっと目を閉じる。
地上で傷を負って倒れるなんて、"あの頃"のようだ。
そんなことを考えながら、カライスは意識を手放したのだった。
―― 天使としての… ――
(愛しいという感情が認められないというのなら。
彼の傍に居ることが誤りだとされるのなら)
(この翼も権能も、必要ない。
天使としての力など、無意味なのだから)