ふわりと、淡い紅茶の香りが漂う。
普段ルカが身を置いている部屋とは異なる、本でいっぱいの部屋。
それは、同じ統率官の一人、ジェイドの部屋で。
「あぁ、やっと終わった……」
呟くようにそう言いながら、ルカは伸びをする。
そんな彼を見て、ジェイドは小さく笑った。
「書類を貴方がため込むから悪いのですよ」
そういって肩を竦めるジェイド。
……そう。
ルカが此処に来ている理由……それは、片付けた書類の一部の提出のため。
ジェイドは医療部隊の部隊長。
傷を負って治療を受けた騎士の経過報告などが必要なのである。
どうせ説教をもらうから、と提出に来るのを一番最後に回した結果、説教ももらった上で、ジェイドと一緒にお茶をすることになったのだった。
「まぁ、きちんと終わらせたのは何よりです。少しゆっくりしていきなさいな」
今日は急ぎの任務もないのでしょう?
そうジェイドに問われて、ルカは肩を竦めつつ頷く。
「あぁ、それも悪くないな」
そう言いながらルカは小さく息を吐く。
そして、ジェイドが淹れてくれた紅茶を啜った。
「ん……久しぶりに飲んだな、美味い」
そういって目を細めるルカを見て、ジェイドも微笑む。
そして、自分のカップを手に取った。
「そう言えば」
ふと思いだしたように、ジェイドが口を開いた。
ルカは不思議そう二首を傾げて、彼の方を向く。
ジェイドは"大したことではないのですがね"と前置いて、口を開いた。
「前々から気になってはいたのですが、貴方が魔術を使えないのは生まれつき、なのですよね?」
そう問われて、ルカは小さく頷いた。
「そうだけど……どうかしたか?」
「いえ。貴方のご両親は普通に魔術も使えましたよね。
ルイ元統率官も相当の魔力の使い手であったと聞いていますし」
そう問われて、ルカはぱちりと瞬く。
そして軽く肩を竦めて、言った。
「あぁ、俺だけだな。
小さい頃は何度か検査とかにも連れて行かれたけど……特に異常はないっていわれたしなぁ」
そういって苦笑するルカ。
ジェイドはそれを聞いてなるほど、と呟く。
「大分珍しいケースなので気になってしまって。
魔力が元々ない、という形で魔術が使えないんでしたっけ?」
「あぁ。生まれつき魔力がほぼゼロってことらしい。
ただあるべき魔力が無い訳じゃなくて元々の量がゼロなだけだから魔力枯渇による不調とかはないんだよ」
満足したか?
そういって笑うルカに、ジェイドは微笑みながら頷く。
「ありがとうございます。
でも、それにしても……そんな状態でよく騎士団に入り、此処まできましたよね」
それが凄いと思うのですよ。
そういって、微笑むジェイド。
ルカはそれを聞くと、照れたように、少し笑った。
「まぁ、なぁ……
事実親父にも反対はされたしな」
そう言いながら、ルカは目を細める。
ふと思い出すのは幼い頃の記憶。
騎士になるより少し前の、想い出だった。
***
物心ついた時から、追いかけてきたのは父親の背中だった。
勇ましい騎士としての父の姿。
いつか、父のようになりたい。
そんな想いでいた。
しかしそれは無理だと言われた。
その理由は、彼……ルカに、魔力がなかったからだ。
城に勤める騎士は、剣術と魔術で任務をこなす。
その片方が全く使えないルカが騎士となることは難しいだろう、と。
実際に騎士として働いている父親にも同じようなことを言われたくらいだ。
「それでも、おれは騎士になりたいんだよ!」
ルカはそう、父親に訴えた。
魔術が使えないのはどうしようもないということは理解している。
何度も検査をして、どうにもならないということも聞いている。
魔力があるのに上手く使えないだけだったなら、きっと魔術を使うための訓練なども容易だっただろう。
しかしルカの場合は、違うのだ。
生まれつき、魔力がごく微量にしかない。
そして、魔力をためることも出来ない。
そんな状態では満足に魔術を使うことも出来ないというのが結論だった。
幸い、日常生活には支障がない。
それなりに生活していくことは出来るだろう。
そう言われていたけれど……
それなりにでは嫌だと、ルカは言った。
自分も、父親のような騎士になりたいと。
自身の息子の言葉が、想いが本物であることは他でもない父もよく理解していた。
しかしそれと同時に、騎士になるということが如何に厳しいかということもよくよく理解している。
なりたいというだけでなれるものでもないということも。
だから、彼は言った。
「簡単に騎士になれると思うな。
魔術が使えない時点でお前は他の仲間よりスタートラインが後ろにあると思え」
それでもなりたいというのなら。
そう言いながら彼は、ルカに一振りの剣を差し出した。
「意地で、俺に勝ってみせろ」
そう告げて。
その日から、彼の父親は彼に剣術を教え込んだ。
剣の振るい方は勿論、剣の躱し方も、扱い方も……――
無論はじめは負けてばかりだった。
攻撃を加えるなんてもってのほか。
向けられる攻撃を躱すことさえろくに出来ずにいて。
「くっそ」
剣を払われ、足を払われ、何度も地面に転んだ。
悔しさに顔を歪めながら、何度も立ちあがって。
父はそんな息子を見つめ、そっと息を吐き出して、言った。
「もうやめるか?無理だといっていただろう」
そう告げられ、ルカは顔を顰めながら首を振った。
そして、もう一度剣を構えなおして、父に吠えた。
「やめるもんか!勝つまでぜったい、やめない!」
そう叫び、ルカは父に向かって、剣を振るった。
それが振り払われるとわかっていても、何度も、何度も。
***
「それで?
結局、ルイ様に勝つことは出来たのですか?」
幼い頃のルカの話を聞いて、ジェイドはルカに声をかけた。
ルカはそれを聞いて、苦笑を漏らす。
「入団するまでには一度も出来なかったな」
そういって笑うルカ。
事実、彼に勝つことは出来なかった。
今でも、完全に勝つことは出来ずに居る。
「それでも、騎士になるのには十分だろうっていわれてな。
晴れて試験を受けた、ってとこだ」
「なるほど。文字通り、努力で騎士になったのですね、貴方は」
貴方らしい。
そういって、ジェイドは笑う。
ルカはそれを聞くと小さく笑って、ウインクをして見せた。
「努力してない騎士はいないさ。
俺は……まあ、とりあえずスタートラインに立つ所から始めた、ってだけでさ」
そんな彼の言葉にジェイドは目を細める。
―― それが貴方が努力家だという証なのですけどね。
そんなことを考えながら、ジェイドは自身のカップをそっと傾けたのだった。
―― 努力の証 ――
(確かに、全く努力をしていない者は居ないでしょう。
けれど…貴方の努力はきっと、常人よりも多かったはず)
(騎士になる道を諦めるという手段もあったでしょうに。
そうしなかったのが、貴方が努力家だという証なのですよ)