秒速5センチメートルを見たよ。
映像がものすごい美しかった。
もうめちゃくちゃに美しかった。

創作作品で感動するときって、全て自分の経験した感情から
その感動がくるんだってことを再認識した。ファンタジーとか
現代人が経験できない設定だとしても、感動するポイントには
自分を投影できる=多くの人が似た感情を経験をしている、
ていうのに持ってくるものがほとんどだと気付いた。
色々かいてちょっと意味がよく分からんけど、簡単にいうとこう↓

多くの作品は 感情 > 経験 だけど
この映画は  感情 < 経験 みたいな。

経験から感情に寄せる描写がほぼ無いみたいな。
だからこの映画は、その「多くの人が経験した感情」からくる感動に
頼らなかったところがすごいと思う。逆に言えば、経験がない人間
は完全においてけぼりをくらってしまう。わたし完全に後者。

1話目は遠野の気持ちと2人の関係がよく分かるから大丈夫。
大切な人を傷つけてしまったこととか、自分の無力さを悔いたり、
大事な人を待たせている焦りとか苦しみがとってもよく分かる。
やっと会えたシーンでも、2人とも目に見えるように喜んだり大声で
泣いたりしなかった。手を握って静かに泣くような人たちなんだよ。
ここがとても美しかった。ここが私の感情マックス地点。

続く2話目は遠野くんに片思いしている澄田視点で話が進むから、
この映画のキモであろう、明里に会えない間の遠野の気持ちは、
彼の行動(澄田の見ている遠野)から想像するしかない。
ここの遠野の気持ちが汲み取れる人はこの映画に感動したり共感
できたりするんだろうね。まぁ私には全く分からんかったけど。

何よりもう2話目の時点で、私から見れば遠野の気持ちと行動は、
1話目みたいに比例してないように見える。信じてる、待ってるって
いうけど、じゃあそれができるようにお前は何をしたんだよって思う。
こんなんじゃよっぽど奇跡とか起こらなきゃ救われることなんて
ありえないよ。だからこれは、奇跡の起こらない現実の話だな!

なんか怒ってるみたくなっちゃたけど。
何にもしないで信じてるなんて無責任じゃないの?と、正論を言い
たくなるのです。私が遠野の男友達だったらめっちゃ喝入れてる。
喝入れざるを得ない。まじで。お前しっかりしろよって。

そうして暫く考えていると、はて、遠野は一体何を信じて何を待って
いたのかなって疑問に思えてくる。2話目の冒頭とかに成長した?
遠野と明里が2人で地球を眺めているような描写があるんですね。
ここでは一貫して、明里の顔(表情)が一切映らないわけです。

すると、遠野は本当は明里ちゃんを待っていたんじゃないんじゃないか
と思えてくるんですね。じゃあ何を信じて何を待っていたのかな。
それは私にも謎。まだ分からないです。

そもそも「秒速5センチメートルは時空超えが絡むやつだ」っていう
謎の刷り込み勘違いがあって、時空かー時空絡むのめっちゃ切ないもんなー
でも純愛ものだろうなーあんま興味ないしなーでもどうしよう時空だしなー
って手を出さなかった期間がずっとあって、
つい先日レンタルショップ行ってちらっとパッケージを見たら

どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。

この煽り文句ですよ。光の速さでレジまで持ってった。

姉ちゃんと一緒に鑑賞したんだけども、エンドロール始まった瞬間私の首が
 えっ て感じで前にクイって動いたらしい。ニワトリみたく。
いや、えって思ったもん。あれ?時空は?って。私ずっと時空超え待ってたんだよ?
いつ?いつくるの?って。その直後どうしても堪えきれず爆笑してしまった。
時空超えねーじゃんwwwwwwってなった。

いやそもそもなぜ時空絡みだと勘違いしてしまったのか。
全く分からない。記憶にない。

むしろこの煽り文句だったら時空超えてよ!って思った。