《柳生一族の陰謀》
観たですよ!
春日局やばいだろあれは…
それから万と左源太の二人が瀬戸際で手を繋ごうとして届かぬまま死んでしまうシーンに泣いた
十兵衛可哀想だったな…でもあの頃はそういうのって茶飯事だったのかな、特に戦においては。
とにかくラスト、まさか家光が十兵衛に…
御父様ご乱心だったな
繋いでいた手を離したとき。
希望しか見えていなかった今までの自分を恥ずかしく思う。
やり場のない不安やら恐怖やらは、過去の幸せな思い出を駆使しながら、目を逸らそうとする。
そして、時にその思い出にすがるあまり、自らの手で形にして"今"に現してしまうことがある。
俺は、まさにそうしてしまったのだ。
「○○○」
(形に、現して、)
「…ん?」
(過去の幸せな思い出を)
「ごめん」
(不安と恐怖から目を逸らすために)
「気にすることねえよ」
何のことだか分からないが、と彼は付け加えた。
俺は何故か無意識に彼に詫びていて、悔しくもなんともないのに、目の前が霞んで、頬を水分が伝った。
「な、泣くなよばか」
(本当は、)
「泣いてなんかないぞ、勝手に涙が出てるんだ」
「ばかお前、そう言うのを泣くっていうんだよ」
きゅ、と握りしめられた両の手。
ああ、俺はどんなに長いこと、この手から離れて生きていたのだろう。
繋いだ手を離したとき。
この手の温かさを当たり前だと思っていた自分を恥ずかしく思う。
百済が滅んで約100年後も唐と新羅は変わらず。
その間に、日.本は、唐と通交するようになり、20年に1度の割合で遣唐使が派遣されるようになった。
しかし、一方で新羅とはギクシャク。その理由は、日.本が新羅を従属国として扱おうとしたため。
これってやっぱり百済とのことが関係してるのかな…
だってそうだよね、百済じゃなく唐と、新羅は結んでしまったんだもの…
百済を尊重してた日.本にとっては、新羅の行動は何とも理解し難かっただろうね…
あ、それは若干憶測だな…ごめんなさい。
動きがあったのは727年。
北方の中.国東北部の、旧高句麗人や靺鞨族を中心に建国された、渤海と、日本が通交を始めた。
渤海は唐・新羅と対抗関係にあり、日.本も新羅との対抗関係から、友好的に通交するようになった。
何だかまた…ややこしくなったな…
それにしても我が祖国は新羅を凄く敵視するなあ…
1日に教科書4ページ進めるという規則にしたがって、古代を勉強しています。
先走ってもサボっても、きっと結果は悪いに決まってるんだから、規則通りに。
どんなに気になっても、なのです。
はあ…百済…日.本…
何か文書きたいなあ…白村江ネタで…